大手が置き去りにする地域のデジタルデバイド解消を目途とし、過疎地の情報通信事業を担う関西ブロードバンド株式会社を、その前身である関西ブロードバンド企画株式会社として設立しました。
日本で先駆けとなる「兵庫情報ハイウェイ」を構築し出資も仰いだ兵庫県を舞台に「ブロードバンド100%整備プログラム」から手掛け、数々のベンチャー企業としての賞を受賞、淡路、京都、和歌山、奈良・・と近畿圏内の地域ISPをグループ化して事業や売上を拡大してきました。しかし、事業の急拡大に必要な設備投資の減価償却負担は利益を圧迫し続け、創業当時過疎地であったエリアも競合他社の侵食を受け、財務状況が悪化して債務超過の危機を迎えました。
遂にはそれまで当社が独自に手掛けていたインフラ設備をソフトバンクに売却、ISP事業を㈱イージェーワークスに売却して資金難や財務体質の立て直しを図りました。一方でデジタルデバイドで困っている地域は全国各地に多く存在し、地域情報化を専業とする当社は、全国各地のエリアに待望されていました。
2008年から、そのような多くの地域に本格的に提案を開始し、当社が得意とする電話線を活用したADSL技術による情報通信基盤を、広島県庄原市や鹿児島県霧島市を皮切りに全国25ヶ所、80局舎に、当該地域の補助金を活用して設置し事業拡大を図りました。また2009年度末にはQ-Board(福証上場市場)への上場申請を目指した活動にも取り組んでいました。しかし、2009年の秋頃に国が発表した光の道構想により、ADSLで事業を拡大しようとしていた当社には、大きな打撃となる国のインフラ整備方針の大転換が図られたことにより、当社の事業計画をゼロから見直し、地域のインフラが光化されるところで情報通信事業を担っていくことが急務となり、その対象エリアを増やす必要性が出てきました。
2010年、不断の営業努力により、当社に光ファイバの運用を託すエリアが2つ、鹿児島県徳之島と長崎県壱岐市に生まれました。2011年度当初からそれらのエリアの運用を開始する予定で準備を進めてきましたが、両方のエリアで基盤整備を担っていた施工会社の工事遅れなどで、当社は利用料収入が絶たれ、それまでの投資と収入減によって危機的状況に陥りました。
2011年4月から工事遅れの逆風の中、徳之島と壱岐市の事業を開始し2018年度末まで、財務状況に喘ぎならも着実に収入を伸ばし、特に壱岐市においては先んじて全国でも有数の加入率が高いエリアとなり、年間3億近い売上と8千万以上の粗利を生み出すほどになり、徳之島もその頃には利益が出始めるようになりました。しかし、2018年8月、壱岐市の指定管理者を交代する決定を壱岐市に下され、2019年以降の収入を絶たれる事態が発生しました。2019年は壱岐市との調整もあって事業は継続したものの、その事業の終焉は目の前に迫っていました。壱岐ビジョンの閉鎖による損失によって再び債務超過の危機に見舞われていましたが、子会社の分離などによって回避しています。
2020年、壱岐市の事業が完全に終了し利益が大きく削られることになりましたが、同時に2019年から高度無線環境整備推進事業による光ファイバ網構築を会津若松市を皮切りにスタートさせつつあり、光デジタルデバイドといえる地域が数多く日本に存在することがわかり、同年度には四国や沖縄の新たなエリアを当該事業で拡大していきました。とりわけ沖縄には光デジタルデバイド地域が多く、その後も水納島のような離島や、やんばるに囲まれた本部町の山間部などへの光ファイバ網の構築によるエリア拡大をおこなってきました。一方で地方創生事業として徳之島の伊仙町で手がけた百菜という物販事業は売上に大きく貢献したものの、赤字額が大きく、グループ会社である徳之島ビジョンの赤字拡大、全体の資金繰りに影響を及ぼしていました。
2024年に至るまで、従来の低コストで敷設できるADSLは終焉し、当社の構築する光ファイバ網のエリアが拡大、徳之島をはじめ、粗利を得ることができる地域も増加してきました。一方で赤字体質であった百菜事業が指定管理期間の5年を迎え、それを機会に情報通信事業以外の事業を全て停止しました。また、いつでもIPOに取り組めるようになる段取りの1つとして、監査法人の要請に応じて決算期を変更しました。
2025年4月以降、情報通信事業に集中した結果、グループ企業全体で金融返済を上回るキャッシュフローを確保できるようになりました。長年待望し続けてきた、情報通信事業だけで安定経営基盤を構築できるようになったのです。
競合も存在しない当社の展開地域のインフラ事業は、当社に永続的な経営の安定を保証するものになり、今後は売上、利益ともに、その地域だけでも増加することがわかっています。
しかしそれだけで充足することはありません。